学級経営で大切なこと!綺麗ごとは通用しません。担任の役割と責任/小学校/若手教員/指導アイデア
担任をもつ先生たちの一番の悩みは、
「1年間、学級を、どのようにまとめていくか」
ではないでしょうか。
「一人一人が成長できるような学級」を築くために、年度当初から計画を練り、日々、子どもたちと向き合っていく、大変ハードな業務です。
今回は、そんな先生方の業務『学級経営』について書いていきます。
『学級経営』という、言葉の意味を考えた時、綺麗事では済まない「学級経営」の難しさを痛感しました。
「理想に縛られる」は禁物
- いじめが無い学級
- 子ども同士の仲がいい学級
- 勉強にも行事にも一生懸命な学級
担任として、学級の理想の姿を描き、目標に向かって学級を運営するのは大切なことです。しかし、理想に縛られてしまうと、学級崩壊の危機に直面します。
なぜなら、子どもたちの実態は、本当に多種多様で、「先生の力が及ばない事態」が起きることが当たり前だからです。
- 自己肯定感が低く、誰かをいじめて優位に立たないと自分を保てない
- 発達障害を抱えており、集中力、対人関係など、苦手が克服できる類ではない
- 家庭環境で大きな問題を抱えている
など、先生や学校が、どれだけ頑張ったところで、どうにもならない課題は数多くあります。そのような子どもが多く在籍している学級や、子ども同士の組み合わせ次第では、理想の学級を実現することは不可能と言い切れるでしょう。
ご自身が子どもの頃の、学校の様子を思い浮かべてみてください。ベテランの先生でも、指導力や熱意のある先生でも、学校で名高い「ヤンチャ君」を抱えた学級では、いじめや、トラブルが起こっていたのではないでしょうか。
先生の指導で、子どもが皆、理想の姿に成長できるなら、世の中に「性格の悪い人」や「犯罪に手を染める人」は存在しないはずですからね…
担任の先生の使命とは
理想の学級を築くことの難しさ(非現実性)について書いてきました。学級に「どのような子どもが在籍するか」という『運命』によって、先生の力では、よい学級を築くことが不可能な実態が生まれます。
それでは、担任の先生の使命とは、何なのでしょうか。
それは、「性格の悪い子」も、果ては「将来犯罪に手を染めてしまう子」まで在籍する学級を、「なんとか1年間経営する」ことだと思います。
学級の実態を見極めて学級を経営し、なんとか次の学年へのバトンを繋ぐことができれば、大仕事を成し遂げたことになるのです。
- いじめが起きる
- 発達障害を抱えた子どもが多い
- 学校生活に意欲がない
このような実態がある子どもたちが在籍する学級を、学級崩壊させることなく、どのように経営していくのか。それこそが、『学級経営』であり、学級経営という言葉には、綺麗事では済まない、奥深さを感じました。
学級を『経営する』とは
学級を「経営する」と考えた時、打算的で、全体の利益のために一部の子どもが不利益を被り、不平等で贔屓をするような、先生の働き掛けが必要になります。
なぜなら、1つの会社を「経営する」ときには、
- 強い発言権をもつ「上層部(お局)」
- 力を発揮して、会社に貢献し、対価の利益を得る「エース社員」
- 雑務を割り当てられる「平社員」
- 皆からの「嫌われ役」
など、個々に役割や居場所が割り当てられることが当然だからです。そして、そこには個人の能力や人間関係、パワーバランスなどが関わっています。
会社に貢献した「エース社員」に、皆平等を押し付けて、十分な給料を払わなければ不満が溜まります。「平社員」に「エース社員」の役割は務まりません。
強い発言権をもつ「上層部(お局)」の意見を無視すれば、その後、指示が通らなくなります。「嫌われ役」を守ろうとすれば、「平社員」のストレスの向かう先がなくなります。
個人の能力や人間関係、パワーバランスを無視したり、平等を押し付けたりすることで、会社に不満をもつ人が増え、会社全体の業績が悪化し、会社が内部から崩壊する姿が想像できるのではないでしょうか。
会社が倒産しないように、「嫌われ役」のような社員がいても、「上層部(お局)」の意見に嫌々従う風潮があっても、目をつぶりつつ、会社全体のことを考えて、会社を経営しなければなりません。それは綺麗事では済まないことです。
会社の経営を例に出して話をしましたが、学級の経営も同様だと考えます。
- 強い発言権をもつ「カースト上位」
- 学級を支える力がある「優秀な子」
- 一般的な「真面目な子」「大人しい子」
- 「嫌われる子」「いじめられる子」
学級が崩壊しないように、それぞれの子どもの立場を理解しつつ、打算的に、不平等に学級を経営する必要があると考えます。少数派を大切にしすぎる余り、多数派を敵に回してしまい、「担任と児童生徒」という関係が成り立たなくなると、学級が崩壊し、全員に悪影響を及ぼします。
もちろん、教員として、子どもを指導し、いじめをなくすように取り組むことは重要です。しかし、「理想の学級」が現実的に不可能な状況の中で、被害を最小限に食い止め、学級が崩壊に至らないように、打算的な判断をすることも、学級経営するうえで重要ではないでしょうか。
「子どもたちを、○○のように成長させたい」という理想の姿、理想の学級を追い求めるだけでなく、「いかに、このメンバーで、1年間学級を過ごさせるか」という視点をもつことで、綺麗事では済まない真の『学級経営』が見えてくる気がします。
まとめ
- 「理想の学級」が不可能な学級はある!
- 1年間乗り切れば、先生の使命は果たせたと言える!
- 「経営する」という意識で、シビアな判断を!
綺麗事では済まない学級経営の難しさ、奥深さを感じた時、『学級経営』という言葉は、言いえて妙だなと思いました。
理想の学級に縛られることなく、臨機応変に子どもたちと向き合うことが大切だと思います。